皆さん、おはようございます。
職業に貴賤を付ける行為は、SNSでは度々炎上します。その大多数は、場当たり的な職業への差別意識によるもので、たいていは不特定多数からの非難を受けて炎上し、当該発言の削除やアカウントの削除による敗北で終わるものです。
では、職業の貴賤はあるのでしょうか?
結論から言うと、職業に貴賤はありません。
いわゆる「底辺」と揶揄されることが多い仕事でも、貴賤を付ける側がその恩恵を享受しているもので、無くなろうものならばサービスの喪失、インフラの喪失という形で深刻な打撃を被ることとなります。
人はみな助け合いながら生きています。汗に塗れ、泥に塗れ、そういう人がいるからこそ社会が成り立っています。
貴賤を付け、差別するのはやめましょう。
職業に貴賤はありません。
おしまい。
…終わっちゃダメだ。
貴賤と貴賤を付ける行為
本題はここからです。
職業に貴賤はありませんが、職業に貴賤を付ける行為については賛同こそしませんが、そうしてしまうことはあってもおかしくはないと思います。つまり、職業に貴賤が無いことと、職業に貴賤を付けたくなることは両立します。
職業に貴賤を付けるに至る背景には、その職業に対する思い込みのほか、ネガティブなイメージがあるかと思います。
具体例こそ出しませんが、例えば、作業服を着た数人が道いっぱいに広がって歩きタバコをしている、そういう姿を見た場合、果たしてその作業服が示す職業に対して、いいイメージを抱くでしょうか?
表紙画像に「ライブ禁止」の写真を掲示した理由は、過去にも記事として書きましたが、ライブが禁止されている場所にもかかわらず、路上ライブを敢行すれば、それはルール違反です。
例え知名度がある、歌がうまい、演奏がうまい、ギャラリーができる…そういう人であっても、少し距離を置けば「ライブ禁止の場所でライブを行っている公共のルールを守らない人」です。
このような状況が続けば、「音楽に携わる人間はルールを守らない連中だ」とパブリックイメージが付き、コロナ禍などの社会的な動乱で仕事を失い窮地に立たされているときに、自分と業界を救ってほしいと声を上げても、ルールを守らない連中を都合よく守るのかと同情もされず、救いの手を差し伸べられることもなくなります。
これで迷惑を被るのは、まっとうに仕事をしている同業者たちです。その迷惑行為が、業界そのものを先細らせるかもしれません。
職業に貴賤はありません。
ですが、職業に貴賤を付けることを助長する行為を自ら続ければ、貴賤を付けられても反論することができませんし、それが身を亡ぼすことにもつながります。
仕事に携わる人は、ただ仕事をこなすだけでなく、モラルを守り、界隈や業界を守ることも、仕事に携わる人がやるべき責務であると、考えます。